花(壺に裸婦) 58×40cm 三岸節子 作 リトグラフ 20/175
このリトグラフ作品は、静かながらも力強い色の対比と形のシンプルさが目を引きます。
深い青の背景は作品に深みと広がりを与え、その上に描かれた白とピンクの花々が、鮮やかでありながらも優しい印象を与えます。
壺に描かれた裸婦は流線型のフォルムを持ち、花々と同じくらいの重要性を持っているようです。
静謐で詩的な雰囲気をもつこの作品は、人間と自然との繋がりや生命の循環をも感じさせるような独特な世界観を持ち合わせた一枚です。
1905年 愛知県中島郡起町字中島に生まれる
1921年 名古屋市の淑徳高等女学校卒業
上京し、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事
1922年 女子美術学校(現在の女子美術大学)2学年に編入学する
当時新進気鋭の洋画家であった三岸好太郎と知り合う
1924年 女子美術学校(現:女子美術大学)を首席で卒業
三岸好太郎と結婚
1925年 長女誕生
第3回春陽会展 入選
婦人洋画協会を結成
1928年 次女誕生
鳥海青児・三岸好太郎・節子3人展を札幌・今井百貨店で開催
1930年 長男(黄太郎)誕生
1934年 好太郎と死別
第5回独立展 独立賞受賞
1936年 佐伯米子、長谷川春子ら6人の女性画家とともに七彩会を結成
1939年 新制作派協会会員となる
1947年 女流画家協会の創立の発起人となるもその後脱退
1948年 菅野圭介と別居結婚
1951年 第一回芸能選奨(現・芸術選奨)文部大臣賞を受賞
1953年 菅野圭介と破局
1954年 初渡欧(翌年帰国)
1968年 フランスへ移住
1986年 秋の叙勲で勲三等宝冠章を受章
1988年 尾西市の名誉市民となる
1989年 フランスから帰国し、大磯のアトリエに定住
1990年 朝日賞を受賞
1991年 三岸節子展<画業65年>開催(米・ワシントン女性芸術美術館)
1994年 女性洋画家として初めて文化功労者となる
1998年 尾西市三岸節子記念美術館(市町村合併に伴い、現在は一宮市三岸節子記念美術館)が生家跡地に開館
1999年 急性循環不全のため、大磯の病院で死去