淼茫残月  24×27cm(色紙) 三岸節子 作 

¥550,000

この作品は、墨で描かれた日本の書道作品です。

力強い筆勢とともに、墨の濃淡が感情の深みを感じさせ、詩的な雰囲気を醸し出しています。

書かれている文字は、抽象的で芸術的な表現をしており、文字自体が持つ意味だけではなく、その形や流れにも注目が集まります。

この作品は、視覚的なリズムと書道という伝統的な芸術形式を通じて、観る者に内省と情緒を誘います。

 

1905年 愛知県中島郡起町字中島に生まれる

1921年 名古屋市の淑徳高等女学校卒業

上京し、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事

1922年 女子美術学校(現在の女子美術大学)2学年に編入学する

当時新進気鋭の洋画家であった三岸好太郎と知り合う

1924年 女子美術学校(現:女子美術大学)を首席で卒業

三岸好太郎と結婚

1925年 長女誕生

第3回春陽会展 入選

婦人洋画協会を結成 

1928年 次女誕生

鳥海青児・三岸好太郎・節子3人展を札幌・今井百貨店で開催

1930年 長男(黄太郎)誕生

1934年 好太郎と死別

5回独立展 独立賞受賞

1936年 佐伯米子、長谷川春子ら6人の女性画家とともに七彩会を結成

1939年  新制作派協会会員となる

1947年 女流画家協会の創立の発起人となるもその後脱退

1948年 菅野圭介と別居結婚

1951年 第一回芸能選奨(現・芸術選奨)文部大臣賞を受賞

1953年 菅野圭介と破局

1954年 初渡欧(翌年帰国)

1968年 フランスへ移住

1986年 秋の叙勲で勲三等宝冠章を受章

1988年 尾西市の名誉市民となる

1989年 フランスから帰国し、大磯のアトリエに定住

1990年 朝日賞を受賞

1991年  三岸節子展<画業65年>開催(米・ワシントン女性芸術美術館)

1994年 女性洋画家として初めて文化功労者となる

1998年 尾西市三岸節子記念美術館(市町村合併に伴い、現在は一宮市三岸節子記念美術館)が生家跡地に開館

1999年 急性循環不全のため、大磯の病院で死去