よりそう 10F(53×45.5㎝) 大沢昌助 作

¥600,000

身体をピタリと寄せ合えば、相手の心はわかるでしょうか。

ひとりひとりに異なる考えや経験がある為、他人の心を完全に理解することは難しいかもしれません。しかし、互いの心に寄り添いたいと思う気持ちがあるならば、それは非常に尊いものです。寄り添いの気持ちは、人間関係や愛情の中で非常に重要であり、互いを理解できないときでも、愛と思いやりを通じて関係を深めていくことができるのです。

一見、境界があるように見えるそれぞれの身体や色は、寄り添い、混ざり合うことによって、豊かな広がりを生むことになるでしょう。

 

1903年 9月24日、東京三田綱町に大沢三之助、みよ子の三人兄弟の二男として生まれる (三之助は建築家辰野金吾の教えをうけ、後に東京美術学校図案科第二部(建築科)主任教授となり、昌助の兄と弟は建築家、三之助の妹(いと子)は福沢諭吉の長男一太郎に嫁いだ)

1923年 4月、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学(長原孝太郎、小林万吾にデッサンを学び、三年次に藤島武二教室に入る)
一級上に猪熊弦一郎、山口長男、荻須高徳、岡田謙三、牛島憲之、小磯良平、一級下に吉井淳二、久保守らがいた

1928年 東京美術学校西洋画科を首席で卒業

1932年 世田谷区玉川奥沢町2-666にアトリエを建て、転居 
国立音楽学校の一期生でピアニストの北村季美子と結婚する(季美子の父北村季春は長野県歌「信濃の国」の作曲者)

1933年 大沢昌助油絵個展(日動画廊)開催

1939年 この年から児童雑誌『コドモノクニ』に童画を掲載

1942年 二科賞受賞

1943年 二科会会員に推挙される

1945年 4月頃、強制疎開を受け、福沢方に転居  8月、父 三之助死去
二科会再建に会員として参加する

1946年 武井武雄、初山滋らによる日本童画会の創立に参加

1954年 多摩美術大学教授となる(1969年まで)

1961年 兜屋画廊で戦後初個展

1965年 第4回国際形象展で愛知県美術館賞受賞
多摩美術大学正面玄関にモザイク壁画を制作
第8回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品

1973年 大沢昌助・村井正誠・山口長男展(夢土画廊)

1975年 麻生三郎・大沢昌助・柳原義達・山口長男展(ギャラリーセゾン)

1978年 大沢昌助・堀文子・建畠覚造展(神奈川県民ギャラリー)開催

1981年 大沢昌助の世界展(池田二十世紀美術館)開催

1982年 二科会を退会

1984年 大沢昌助個展(銀座アートセンターホール)開催、「隠喩(赤)」「隠喩(青)」

1991年 8月、大沢昌助展(銀座、和光ホール)開催
9月、変身と変貌 大沢昌助展(練馬区立美術館)開催
東京都新都庁舎都議会本会議場前ロビーの大理石壁面デザイン

1995年 第4回中村彝賞受賞。

1997年 5月15日午前9時、急性心筋梗塞のため自宅で死去 享年93歳
9月、追悼 大沢昌助展(練馬区立美術館)