兎の家 68×37cm 池田満寿夫 作  リトグラフ 79/80

¥110,000

版画家、画家、挿絵画家、彫刻家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家、脚本家、映画監督、TVタレント、陶芸作家など、さまざまな肩書きを持つ池田満寿夫。前衛的な表現で注目を集め、20世紀後半に幅広い分野で活躍しました。

彼のリトグラフは、どちらかといえば抽象的な表現に重点を置いており、独自の魅力を展開しています。

ベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞し、日本人で始めてNY近代美術館で個展を開催するなど、国際的な版画家として世界に認知されており、今なお多くの人々に愛されている作家のひとりです。

 

1934年 旧満州国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ戦後長野県長野市で育つ 
長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業
高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に2度失敗し芸大進学を断念、早稲田大学に入学する
早稲田大学在学中に下宿先の娘と結婚入籍、通学の傍ら酒場で似顔絵を描いて生活費を稼ぐ生活を続けた
19歳の時出品した作品が自由美術家協会展に入選、その後 画家である瑛九の勧めで色彩銅版画の作製に取り組む  この時期、平井蒼太主宰の真珠社から豆本のシリーズを刊行
1960年 東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞受賞
1961年 上野・不忍画廊で初の個展を開く
1965年 ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開催
1966年 32歳のとき、棟方志功に次いで、版画家としては最高権威のヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門の国際大賞を受賞
後に水彩画や文学方向にも関心が傾く
1977年 『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞
1980年代以降は、テレビにも盛んに出演、人気クイズ番組日立 世界・ふしぎ発見!の準レギュラーなどで一般大衆への知名度もアップし、文化人としても活躍
1965年 初訪米  米国陶芸界の第一人者であるピーター・ヴォーコスと交流
帰国後の1983年から陶芸にも没頭した(死の3年前に制作した般若心経シリーズの作品は池田の陶芸作品の中で最高傑作といわれる。般若心経という精神世界を平面ではなく、立体的に造形化した。地蔵や佛塔の作品などは、エロスの作家といわれた池田版画のイメージとは全く異なる。池田の陶芸作品はあえて割れるように制作したのが特徴であり、池田本人は“破壊の美学”と述べている)
1997年 3月8日、静岡県熱海市の自宅にいたところ地震に遭遇し、愛犬に飛びつかれて昏倒、心不全にて急逝  享年63歳 

主な所蔵作品は、長野市の池田満寿夫美術館、三重県三重郡菰野町のパラミタミュージアム、熱海市の池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家と池田満寿夫記念館でそれぞれ常設展示されている
京都市の京都国立近代美術館は佐藤陽子から寄贈された版画作品を所蔵
広島市現代美術館、長野県立美術館は池田作品のコレクションを所有している